安楽死について賛成か反対か?

2020年7月 難病ALS40代の女性が安楽死を望みました。
医師2人が自宅にて安楽死を実行したという報道です。

捜査は続いています。
断片的な情報を信じて、安楽死を望んでいたという事にして
私の見解をのべていいのかは苦慮するところではありますが、
望んでいたとしてもなんの不思議もないと思っています。

私は安楽死に対して賛成です。

彼女に対する安楽死が妥当であるかはわかりません。
そんなこと言える立場でもないし、研究者でも医師でもありません。
もしかすると、殺人なのかもしれません。


ただ、「安楽死」について私は賛成です

私が安楽死を賛成する理由

私は安楽死はある種の保険のようなものだと感じています。
限界がきたら、もう、楽になっていいんだよという保険です。


どんどんできることがなくなる。
痛みにたえれない。
やくに立たない自分が嫌だ。

いったいいつまで頑張らなければならないんだろう

もう限界だと思っても、
「まだ、生きなければならない」
「助けてくれと叫んでも、誰も助けくれない」

そう思って生きていいくよりも、


もう無理だ限界だと思ったら、
「終わりは自分で選べる」

そう思えば、
苦しい、痛い、つらい
もう少し頑張ろう、
限界まで生きてみよ

限界がきたら、
楽になってもいいんだよ

そう言ってもらえるなら、
どんなに気持ちが楽になるだろうか

自分が決めた期限があるならば、
私は頑張れるきがする。


誰にとっても死を選ぶことはきっと、怖くてたまらないことだとおもいます。
だからこそ、簡単には選ばないはずです。

「終わりは自分で選べる。」

そう思えることで
今を精いっぱい生きれるのではないかと
私は思っています。

このように書くと、まるで、
自殺志願者のように思われてしまうかもしれませんが、
そういう事は一切ないです。

今は、死ねません。

死ぬわけにはいきません。

生き抜きます。

愛してくれた親のためにも

愛する子供のためにも

亡くなた女性に対する気持ちと社会に対して


私自身が難病持ちであり、
叔母がALSであったので、
その立場として、書かせていただきます。


叔母はALSでした。
親類の結婚式参加のためにホテルに泊まった際、
一緒に歩いて談笑した記憶があります。
それなのに数年すると、ALSにかかっており、次に病状を知ったときはかなりの末期でした。

叔母は、呼吸困難になったとき、
「人口呼吸器はつけないでくれ」という意思表示がありました。
これは安楽死とは違うので、個人の意思が尊重される話です。
昨年、亡くなりました。

目以外のほぼすべての体を動かす機能を失い、叔父に2,3分おきに、「水」「扇風機」「顔・・」と何かしてほしいことを伝えていたようです。

老人性の寝たきりの病気とは違って、頭がはっきりしているのに、自分で思うように体が動かせない病気です。昏睡状態で手足が動かないのとも違います。


ご飯もつくりたい、自分でトイレにいきたい、熱いから布団をのけたい、目がかゆいから目をかきたい、寝返りをうちたい、普通の人が普通にしていることを自分でできないつらさはどんなに想像しても、重症筋無力症で思うように動けないわたしですら、わかりえない辛さだと思います。

私なら、もう、生きたくないと言うと思います。

ただ、忘れてならないのは、

「生きていたくない気持ち」と同時に
「自分に存在価値を見出せない気持ち」が共存しているということ。

もし、自分に存在価値を見出せたなら、
生き抜くこともできたかもしれない
と思います。
今は死ねないと思えたかもしれない

だからと言って、
社会に、
「彼女に(私に)存在価値を見出してください」
とお願いするのは無理難題だとわかっています。


普通に健康に生きている人でさえ、
自分が必要な人間だなんて感じる人がどれだけいるかわかりません。

なので、
社会やましてや家族のせいでだなんて、
とても言えないと思っています。

でも、どこかで、彼女を(私を)必要としてくれるならば、
彼女自身(私自身)も自分が生きていなければいけないと思えたならば、
ぎりぎりまで生きることができたかもしれないそう思えてなりません。



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